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過去の産物(下巻)

口だけおばけ 2010.2

「夢は何?」こう問われる度にどんどん夢から遠ざかっている気がします。
「サッカー選手になりたい!」と溢れんばかりの笑顔で返事をしていたのは、10年前の僕です。
「夢・・・特にないです・・・」と俯きながら担任に返事をしたのが、先日の僕です。

10年で人は変わります。
見てください、加護ちゃんを。ゴマキとデュエットしていた彼女が、今やハマキとデュエットするという有様です。
ほとんどの人間は歳を重ねるごとに負のレールを歩んでいきます。僕も歩んでいましたが、随分昔に後ろから来た電車に跳ねられました。多分中2辺りです。黙祷。

「サッカー選手になりたい」と言っておきながら、体育以外でサッカーをしたことがありません。むしろサッカーより野球を好みます。
口だけです。口だけおばけです。唇おばけは井上和香のことです。

「まあ、できるだろ」が僕の口癖です。実際は何もできません。彼女も、逆上がりも、ウインクもできません。
典型的な口だけおばけです。ごめんなさい。反省してまーす。
彼もまた、口だけおばけなのかもしれません。


KYサウンド 2010.2

授業中にお腹が鳴る。
毎日だ。大体3時間目辺りに鳴る。
椅子を引いたり、咳払いをしたりと、何とか音を誤魔化そうと試行錯誤するが、教室が静まり返っているときに限って鳴る。教室に響き渡る、マイ・ハラノムシ。
世の中で一番空気が読めないのは、牽制球ばかりするピッチャーではなく、腹の虫なのではないだろうかと思う。

通常は、「グルル・・・」という重低音で鳴るが、たまにおならそっくりの音で鳴る時がある。
僕はそれを、「屁のフェイク」、略して、「屁イク」と呼称している。僕はいつもこういうどうでもいいことを深く考える馬鹿野郎なのだ。
屁イクが出た場合、「違う!おならじゃない!信じてくれ!」と土下座をしながら言い訳をしても不自然なのでいつも黙っているが、クラスメイトからは、「屁も抑制できない男」というレッテルを貼られているんではないかと考えると、消え入りたくなる。

フマキラーで腹の虫が駆除できたらどれだけ助かるだろう。
そんな願いを胸に、今日もまた僕は腹を鳴らし続けるのだ。


ハンドルネームという個性 2010.7

ハンドルネームというのは面白い。
ちなみに僕は、「人」というハンドルネームなんですが、なぜかしら結構由来を聞かれることが多いです。
いや、逆に聞きたいんですけどこの名前に由来があると思いますか。むしろ何か感動的な由来を考えてほしいんですが。
例えば最愛の彼女が死に際に放った一言とか。でもそんな発言しねえし、大体彼女いねえし、あれ・・・涙が・・・

でもHNの由来が気になるのは分かります。
少し前にあるサイトで、「座薬」というハンドルネームを見たときには由来が気になって仕方ありませんでした。
ずっと座薬さんのことを考えていました。「これが恋なの・・・」と勘違いしたこともありました。
最終的には恐らく座薬さんは相当座薬好きな方なんだろうなという形で自分の中では納得しました。入れる時に、「あぁんっ・・・」ってなりますもんね。かれこれ五年くらい使ってないな・・・

人それぞれ好きなハンドルネームをつけるのは良いのですが、できるならよく考えてつけた方がいいかもしれませんよ。
というのも、こうして超優良サイトであるFC2さんでブログをやらせていただいていると、色々な方々が当ブログに訪問してコメントを残されるということが多くなるんですが、そのコメントでまず先に目が行くのが、僕の場合は内容よりもハンドルネームなのです。いや、ちゃんと内容も音読してますよ。
でも、ハンドルネームが個性的だったり、面白かったりすると、その方のブログにも足を運んでみようかなという気持ちになるんですよね。

しかし逆に個性が強すぎても良くない。
ブログを通じてある程度まで交流が深まると、スカイプ通話とかオフ会に発展する場合があるのですが、そこでですね、仮に誰かのHNが「おちんちん伯爵」だった場合、恥ずかしいでしょ。言う側も恥ずかしいし、言われる側も恥ずかしいでしょ。
文字で見る分にはまだ許容範囲ですけど、面と向かって、相手のことをおちんちん伯爵呼ばわりしたりされたりは相当辛いですからね。
そういうことを含めた上で、やっぱりハンドルネームというのは面白い。


ヌルメン 2010.7

僕はそうめんが苦手だ。
夏の風物詩とも言われるそうめんだが、僕はこれがどうも好きになれない。
もっとも、食べたらリバースするだとか、変形合体するだとか、秘められし闇の力が目覚めるなどということはない。まんじゅうこわいのような落語的要素も含んでいない。
食べようと思えば食べられるのだが、好んで食べようとはしない感じなのだ。分かるだろうか。僕は分からない。

小学生の頃、校内で流しそうめん大会なるものがあったのだが、当時からあまりそうめんが好きではなかった僕にはこれが苦痛だった。
空気を読んで周囲には美味い美味いとは言っていたものの、麺は硬いし、麺つゆの量は検尿程しかなかったし、なにより場所が最悪で、トイレ横の竹やぶだった。これが臭いのだ。
確かに流しそうめんなので竹やぶでやるのは風情があるし、頷けるのだが、トイレ横というのは少々ファンタスティックすぎる。
恐らくこの流しそうめん大会が当時からあった僕のそうめん嫌いを更に促進させた原因となっているのだろう。

書いている途中に気づいたのだが、僕は、ざる蕎麦、冷麺、冷やし中華などもあまり好んで食べない。冷たい麺が苦手なのかもしれない。
だからといって熱い麺を食べようにも、僕は猫舌なので、フーフーしないと食べられない。
しかもこれがただのフーフーじゃなく十数回に及ぶフーフーだから恥ずかしい。凄く恥ずかしい。卒業文集の将来の夢の欄に、「天才詐欺師」と書いてしまうくらい恥ずかしい。

この猫舌が災いして、ラーメン屋に行っても出来立てを豪快にズルっとすすることはできず、いつも念入りにフーフーしてから食べる。
小学生なら可愛いものだが、二十歳前の男が念入りにフーフーしているとさすがに気持ち悪い。結果、熱々だったラーメンは、中途半端な温度に変わってしまう。
以上の事例から僕に適しているのはぬるい温度の麺なのだ。


ストレスコマーシャル 2010.11

最近CM上においての携帯用ゲームのゴリ押し感が怖い。
モバゲーが典型的な例で、時任三郎出演でドラマじみたことをやっているあれと書けば分かるだろうか。
あのCM、凝ったことをやるのはいいのだけれど、果たして何の宣伝なのか分からないという状況に陥ってしまっている感が否めないし、あの一連のドラマを見て、「よし!ちょっとモバゲーやってみるか!」とはならない。
今現在便秘で苦しみながら、気持ち悪いの最上級としか表現できない表情で、偉そうな文章をタイプしている僕が言うのもおかしいと思うけれど。

まあ、モバゲーはまだいい。色々と文句を綴ったけれど、僕は文句を言うのが趣味みたいなものなので実際の所はそこまで不快にも思ってないし、継続すればいいと思う。
ただし、GREE、お前は駄目だ。現在やっているGREEのCM、結構な種類あるんだけど、その中に、『恋愛ゲーム』のCMがある。ちょっと説明が下手で申し訳ないんだけど、「あなたのことが大好きです」的な告白めいた台詞を声優さん達が連発で言っているやつね。分かるかな。分からなかったらもういいです。
話を戻してあのCM、あれを夕食時に流すのはやめて欲しい。

夕食時、家族と何の気なしにテレビを見ているとあのCMが流れる。
声優さんの「好きです」がテレビから響き渡ると同時に母の視線が何故か僕のほうに向けられる。なんだよ・・・こっち見るなよ・・・とイライラしていると、更に別の声優さんの「あなたのことが大好きです」の声が。チラッと母の顔を見ると、いかにも、「お前こんなゲームが好きなんだろ?なあそうなんだろ?」と言いたそうな顔でニヤニヤしている。
そんな母のにやけ口に手元の箸を思い切り突っ込みたい衝動に駆られながらも、眼前のご飯を食べる事に集中しようと決意した瞬間に、「先輩のことだけが、好きですから」というテレビ画面からの追い打ち。
そして母から発せられる、「あんたこれプレイしてるんちゃうの?というか絶対してるやろ?」という予想通りの一言。
勿論受験勉強でそれどころじゃないので、「やってないよ」と僕も否定するんだけど、それに対して、「いやいやwwwやってんだろwww」という母の表情をこのCMが流れる度に見ることになるので非常に辛い。
GREEさん、最低でも告白は二連発で収めてくれませんか。


不細工な代償 2010.12

「不細工」という言葉がある。
僕とも非常に密接な関係にあるこの言葉だが、いや、最早僕そのものだが、よく見てみると一抹の疑問が浮かぶ。
「不細工」を単語で区切ると、名詞の「細工」に打ち消しの「不」という単語が合わさっているのが分かる。これを単純に訳せば、「細工されていない」 と直訳できるのだが、どうもおかしい。
むしろ不細工ほど細工をするのではないだろうか。その細工とは、世で言う、整形であり、化粧であったりする。
そう考えてみると、細工する必要がない端麗な容姿の持ち主こそ、「不細工」という言葉が相応しいのである。
そう、この論を踏まえて考えると、今流行の某アイドルグループのメンバーも皆不細工ということになるのだ。あ、既に細工済みなのかな。

もう一つ、「幸」という言葉についてだ。
一般的にプラスな言葉として捉えられているこの言葉も、横棒を一本抜いてやるだけで、「辛」という真逆の言葉になる。その逆もしかりだ。
人間に例えてみると、辛い人を幸せにするためには、幸せな人が代償を払って辛い思いをしなければならないという考察ができる。この時の代償とは「幸」の横棒のことである。そして幸せな人や辛い人というのは家族であり、友人であり、恋人であり、更にはあなた自身でもあるのだ。
誰かが幸せになるためには誰かが辛い思いをしなければならないのである。
そう、つまりクリスマスの日、恋人達が幸せな夜を過ごすために、僕のような女性に恵まれない男達が辛く孤独な夜を過ごし、こうして「幸」と「辛」の相互関係が成り立っているのだ。
恋人達は感謝しろ!崇めろ!爆発しろ!
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